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執筆者の写真P Hitome

原点回帰(前編)

未だに自分を放浪する中、ふと、私は何故吹奏楽を始めたのかと振り返った。吹奏楽の世界に立ち入ったのも、情熱を燃やしたのもまたある一曲から始まったと思い出した。

コダーイ・ゾルターン。東欧を旅した恩師がこよなく愛したハンガリーの作曲家だ。彼の作品の一つに組曲「ハーリヤーノシュ」がある。とあるほら吹きの農夫が語る笑い話を6つの楽章に仕立てた作品だ。私が合奏の中で本格的に演奏することになったのはこの組曲だった。

はじめ私は楽譜が読めなかった。音楽の知識も何も無かった。作曲家を志し、勉強のためと合唱曲の打ち込みをしていたがそれも音符を一つ一つ何の音か数え上げる始末、調号もヘ音記号も覚えたてで調号の影響を受ける音符には一個ずつ色をつけていた。だから他より楽譜を覚えるスピードが格段に遅かった。

音楽の世界では楽譜は伝達手段に過ぎず、それ自体に労力はかけていられない。さっさと覚えてしまって、あとはいかに自分の技量を高め、表現するか。音楽の世界ではそこが勝負であった。だから楽譜を覚えられない屈辱感は私にとって大きかった。

はじめに教えてくれた先輩は今私と同じ高校に通っている。何も分からない、希望と違ったところに流れ着いた私に、とても優しく、とても丁寧に教えてくれた。まるで母親のようだった。いや、母親を超えた母性を感じた。美しかった。経験者ならば数十分あればできるような譜読みを私は2時間かけて終わらせた。それでも技量が追いつかず、結局コンクール本番では省略した楽譜で臨んだ。同じ楽譜を違う楽器で叩いていた同級生が、3年生になって今の技量ならできたのにと悔しがっていた。私も同感だが、そんなことを言っても当時の我々にできたことではないからしょうがない。

先輩方の合奏も私たちは見学をした。コンクールでは課題曲を1曲、自由曲を3曲演奏するようだった。組曲の第2楽章、「ウィーンの音楽時計」。その曲は私とチューブラーベルの出会いの曲だった。


次回に続く。

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