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Date 2022.08.30

久々にナースカフェへ出向いた。湿った空気が肌にじっとりと貼りついて不快だ。
いつまでこの調子なんだろうか。でもそこが良い。きっといつまでもあそこはこんな感じだろう。
中では、酒に酔い潰れた人々が床に転がっていた。そんな中で私は1人課題を終わらせていた。
学校はこの前の事故で潰れてしまったのだが、なんだか終わらせないと気が済まなかった。
我々の夏休みは一生終わらないようだ。
窓から見える月がいつもより明るく見えた。何気なく外を覗くと、1人の男がこちらを見ていることに気がついた。暗かったので顔はよく見えなかったが、草むらの前にぽつんと佇む様がなんだか哀愁を漂わせていた。私はふと思い立って店を出、その男のほうへ走り出した。
外は鈴虫やら蛙やらの声がしていた。明るい店内に目が慣れていて外の暗さに男を見失いそうになったが、男はしっかりとこちらを見ていた。私か駆け寄ってくるとは思っていなかったのか、少し驚いたような表情をしていた。
「こんばんは。あの、どなたですか?」
私か声をがけると、男は少し戸惑ったのち、悲しげな表情をして言った。
「おお、ごめんね、気を遣わせてしまって。君のことを少し、探していたんだ」
「どうしてですか?」
「この前、君の学校で事故があっただろう?私は、学校と連携して教育と研究の事業をやっている金業の専務でね。あの事故は、我々の企業に責任があるのだが、これからその補償という形で、生徒全員に奨学金を給対しようという話になった。それで、あの学校でとりわけ優秀な君に、一目会っておきたいと思ったのさ」
「そうたんですか」
私は重要を話をいち早く聞いてしまったようた。奨学金なんて話は、噂にも聞いていなかった。友人ととありがたい話だ。夏休みが延びた上にお金までもらっちゃって。ただ、ひとつだけ引っかかることがあった。
「でも、私が優秀ってどういうことですか?成績は学年で真ん中ぐらいたし、評定もそんなに高いわけじゃないのに」
「優秀というより、有望が正しいかな。これはテストの点やら課題で評価される訳じゃない」
男はそう言うとゆっくりと振り返り、店の方を指差した。
「ナース・カフェ。君がさっきまで居たあの店が鍵なんだ」
「どういうことです?」
「あそこの店は、本来君のような進学校の生徒が行くようなところじゃないのはわかっているだろう?しかし君は、あんな狂った空間で、黙々と課題をやっていた。そんなことが常人にできるわけがない。君には何か、学校が出した課題のような画一的なものでは計り知れない何かをもっているはずだ。それが我々にとって、有益なものになるかもしれない。だから、是非とも協力して欲しいんだ」
私の頭の中に、これまでの日々が走馬灯のように駆け巡った。学校から出された宿題や課題を淡々とこなしていくだけの毎日だった。勉強する意味がわからなかったし、勉強したところで将来に役立つかもわからない。しかし、それなのに何故私はここにいるのだろうか。私は、自分の中のモヤモヤとした感情の正体を掴めないまま、ただうなずいていた。
「わかりました。あなたに協力します」
すると男はほっとしたように息を吐き、にっこりと笑った。
「ありがとう。じゃあ早速明日から来てくれるかい?」
「はい。明日ですね」
「ああ、よろしく頼むよ」
そう言って手を差し出す男の顔は、先程までの哀愁漂うものとは違い、自信に満ち溢れているように見えた。背後から男を照らす月の光は、さっきにも増して明るく輝いていた。



次の日、朝早くに目覚めると、昨晩の出来事を思い出した。昨日のことは夢だったのではないかと不安になったが、枕元にあるスマホを見ると、しっかり通知がきていた。どうやら本当らしい。私は身支度を整え、朝食を食べてから家を出た。
いつも通りの道を歩いているはずなのだが、今日はなんだか景色が違うように見える。まるで、自分以外の人間が入れ替わったみたいだ。今まで見てきた風景は、本当に自分が見ていたものだったのだろうか。今となっては確かめようもないが、きっとそうなのだろう。
学校に着くと、まず初めに教室に向かった。
いつもなら、休み時間になるとうるさいほど騒いでいる生徒たちだが、今日の彼らは静かに席についていた。先生の話を聞く体勢になっているのだ。私も、彼らの真似をして机に向かってみるが、全く集中できない。目の前に広がる真っ白なノートが、私を責め立ててくるような気がした。
しばらく経ったあと、授業が始まった。いつも通り退屈な話だったが、私はその話を半分も聞かず、ぼーっと窓の外を眺めていた。外は相変わらず暑そうだが、今はなぜか心地よく感じる。なんでこんなに落ち着くのだろうか。そんなことを考えながら、ふと時計を見る。まだ昼までにはだいぶあるようだ。そういえば、あの男はいつ来るのだろうか。
それからというもの、1日中そわそわしっぱなしであった。昼食も喉を通らないくらいだ。午後の授業が始まってからも、やはり落ち着かなかった。普段真面目な私なので、教師たちは少し心配していたようだった。
そして放課後。私は荷物をまとめ、早々に帰ろうとしたのだが、誰かに声をかけられた。振り向くとそこにはあの男が立っていた。
「お疲れ様。ちゃんと来てるね」
「はい」
「よし、じゃあ行こうか」
「えっ?」
「ん?どうかしたか?」
「どこに行くんですか?」
「ああ、それは行ってのお楽しみ」
私は少し不安になった。でも、どこかワクワクしている自分もいて、不思議な気分だった。
男は車を走らせ、どんどん山奥へ進んでいった。だんだんと道が険しくなっていくのを見て、私はますます不安になった。このまま進めば、もう二度と戻れないのではないか。そんな予感が頭をよぎったが、それでもいいかなと思い始めた。どうせこの夏休みは終わらないんだ。だったらここで男と一緒に死ぬのもいいかもしれない。そんなことを思い始めていた。
やがて、車は開けた場所に出た。そこは小さな湖のほとりで、周りには何もなく、ただ木々と草花だけが生い茂っていた。
「ここは……」
「綺麗だろ?ここだけは、他の土地と隔離されているんだ。だから、ここにいれば誰にも邪魔されずに過ごせる」
「そうですか」
「あそこにある建物が見えるかい?」
「えっと、あれは...」」
男が指差したのは、鬱蒼とした木々に覆われ、ヒビの入った壁を蔦が覆い尽くしている、手前の綺麗な草花と不釣り合いな気味の悪い建物だった。よく見ると、屋根や窓に今時は見かけないような装飾が施されている。かつては何かのレジャー施設だったのだろうか。
「ハルディン・ホテル。君のような人が沢山いるんだ。大丈夫、みんな君と似たような特性を持っているから、きっとすぐに馴染むはずだ」
男は私の手を握り、優しく微笑んだ。
「じゃあ行こっか」
私たちは、湖畔に沿って歩き出した。
辺りはすっかり暗くなっていたが、不思議と恐怖はなかった。むしろ、安心感のようなものさえ感じていた。
私が横目で男の顔を伺うと、男はこちらを向いて、また笑った。
「怖くなったらいつでも逃げて良いんだよ。ここにいる人はみんな優しいから」
「いえ、私はあなたについていきます」
「ありがとう」
私たちの足音以外何も聞こえず、ただ虫の鳴き声だけが響いていた。

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